京都人、味、言葉は三位一体
名は体を表すというけれど、言葉もそう。たとえば方言と、その地方の人たちはよく似ています。そっくりだったりする。
新連載は、京ことばを縦糸に使いながら、味のよもやま話を綴っていきます。隔月の連載になりますが、よろしくお願いいたします。
ご存知のように、同じ関西弁でも大阪と京都は微妙にイントネーションや語尾が違う。響きが違うんです。京ことばは大阪弁のようなノリ、グループ感がない。
味も、同じだし文化なのに、かなり違います。
大阪にはあまからやソースもののような、一口でわかる、わかりやすい庶民の味があります。
京都にはそれがない。味に攻撃力がないんです。
ただ、世間でいわれるほど薄味ではありません。汁(つゆ)の色が薄いだけで、旨味、塩味はしっかり効いている。ゆずや山椒、七味のようなアクセントもある。
けれどそれは探るように食さないと、わからないことが多い。繊細、曖昧、微妙、わかりにくいんです。
ですから、はじめて京都人に手料理でもてなされたときは、緊張しました。どうリアクションしようかと。何か、こちらの味覚を試されているような気もして。
揚げなすの煮浸しがおいしくて、どうやって作るんですか? と訊いたなら、謙遜しながらもコツを教えてくれ、「今日はお客さんに出すさかい、いつもより丁寧にだしをとった」と、ちらり本音も話してくれました。
本音を言わないとよくいうけれど、一旦、気を許してくれたら、そこからは案外、気さくでやさしいのが京都人。
言葉の選び方が慎重なだけ。洗練されている、処世術に長けているんですね。
昔、祇園の舞妓さんに、直接、聞いたんですけどね、舞妓さんがお客さんから「いっぺん食事でもどうです?」と誘われて、「……へえ、おおきに」と答えたら、これは断られたということらしい。ノー・サンキューのノーを省略した短縮系。じゃ、OKのときは? 「へえ、おおきに」。えっ?
イエスなら、おおきにのあと、いや、うれしいわ、いつにしまひょ? と、具体的な会話になる、と。
省略のノーは、雰囲気で察するのが、お客さんの粋。断られるのも、断るのも難儀なことですからね。
面倒です。でも、この面倒くささが、京都の魅力を底上げしているような気がするのです。
京都、言葉も味も人も、裏より奥がある。むしろ裏があるのは、東京人かもしれませんよ。